▶︎県人会の歩み
▶︎会長挨拶
▶︎年表
▶︎組織図&役員紹介
▶︎会則
▷青年部
県人会の歩み
大正末期から昭和初期にかけて、多くの沖縄出身者が鶴見に仕事を求めてやってきたと言われております。
とりわけ耕作面積の少ない県北部出身の次男三男の方が多かったようです。
これらの多くの方は地縁血縁を頼って鶴見にやってきましたので、やがて伊江、名護、世富慶、数久田、読谷といった出身地ごとに「島んちゅ会(郷友会)」を結成します。
昭和3年には名護出身者によって「鶴見沖縄会館」が作られたという記録もあります。この様な出身地別の集まりが、戦後の鶴見沖縄県人会へとつながります。
鶴見沖縄県人会が正式に発足したのは、戦後になってからです。昭和21年(1946年)に結成された「沖縄人連盟鶴見支部」が、昭和28年(1953年)に「鶴見沖縄県人会」と改称し、鶴見沖縄県人会が発足いたしました。
その後、昭和52年(1977年)に「財団法人おきつる青少年育成会(現在の「一般財団法人おきつる協会」)」を設立、その3年後の昭和55年(1980年)に、3階建て総建坪260坪の「おきつる会館」が竣工し、これにより鶴見沖縄県人会は、財政基盤の安定と活動拠点を持つに至ります。「おきつる会館」は、1階店舗(「おきなわ物産」、「ティンガーラ」など)、2階住居(5世帯)、3階(「ホール」、「会議室」、「事務所」)で、鶴見沖縄県人会活動の中心となっております。
現在、鶴見沖縄県人会は、伊江村人会、伊良部郷友会、今帰仁郷友会、名護郷友会、南山友の会、羽地郷友会、美川郷友会、本部郷友会、与勝同志会、読谷郷友会の10郷友会と亀寿会(老人会)、青年部で構成されております。世帯数は約250世帯です。
主な行事は、「角力大会」、「納涼大会」、「おきつる大運動会」、「おきつる芸能祭」、「敬老・生年祝賀会」、「もちつき大会」などです。そのなかでも「島相撲」とも呼ばれる「角力大会」は、鶴見では戦前から行われていて、沖縄を除けば、本土では鶴見でしか見ることができない貴重な催しとなっており、2019年には75回大会が開催されました。しかしコロナ禍のため2020年と2021年は、中止となりました。
なお、2016年7月に「鶴見沖縄県人会青年部」が、発足いたしました。「青年部」は、すでに昭和30年から昭和40年にかけて活動していたので、正確には「青年部」の再結成となります。青年部には、沖縄に興味のある方でしたら、どなたでも入部できます。現在部員は、約60人ほどです。
会長挨拶
金城 京一
この度は、横浜・鶴見沖縄県人会ホームページにアクセスして下さりありがとうございました。
以前よりホームページ開設を求める声は多くあり、ようやく実現できて嬉しく思っております。
これからは、横浜・鶴見沖縄県人会の活動をお知らせする場として、このホームページを活用していきたいと思っております。これまで当県人会は、その活動を外に向かって積極的に発信してきませんでした。しかしこれからは、このホームページを通して当県人会の活動を広く知っていただき、当県人会の活動にご協力いただけたら嬉しく思います。
また、皆様からのご意見・ご質問を受け付ける欄も設けましたので、ご活用いただければ嬉しいです。
鶴見沖縄県人会簡略年表
1918年(大正7年)
・1918年に始まる丹那トンネルの工事に沖縄出身者雇い入れられる。
1919年(大正8年)
・川崎富士瓦斯紡績に沖縄出身男女多数雇い入れられる。
1920年(大正9年)
・砂糖価格暴落で沖縄農業大打撃―出稼ぎ、移民増加(ソテツ地獄)。
1927年(昭和2年)
・「鶴見沖縄県人同志会」結成。(名護の屋部同志会が母体と思われる。)
1928年(昭和3年)
・鶴見沖縄県人同志会により「鶴見沖縄会館」建設。
1945年(昭和20年)
・沖縄人連盟結成に先駆け、下野谷小学校で連盟鶴見支部結成大会。
1946年(昭和21年)
・2月、沖縄人連盟の全国支部結成大会が開催される。連盟鶴見支部これに加盟し、神奈川県鶴見支部として再結成。
・横須賀海軍工廠の古材で現在の会館の土地に「ガイコツ」建設(土地登記)。
・沢田住宅跡地で「沖縄郷土劇場」旗揚げ。
1948年(昭和23年)
・「沖縄振興劇場」開館。
1949年(昭和24年)
・沖縄振興劇場撤去。
・ガイコツを改装し「潮田劇場」と命名。
1952年(昭和27年)
・「潮田劇場」改め「第三鶴映」誕生。
・「鶴見沖縄青年会」結成。
1953年(昭和28年)
・鶴見沖縄県人会結成
1954年(昭和29年)
・国体プログラムをモデルに県人会主催の運動会開催。
1956年(昭和31年)
・「鶴見沖縄県人会芸能部」結成。
1958年(昭和33年)
・「鶴見沖縄県人会青年部」結成。
1959年(昭和34年)
・芸能部が県人会主催で芸能発表会を開催。
1963年(昭和38年)
・「第三鶴映」閉館。一階「神谷マーケット(後に「沖鶴マーケット」と改称)」、二階「県人会事務所」に改造。
1972年(昭和47年)
・5月、沖縄本土復帰。
・鶴見から神奈川県庁までの本土復帰のパレードを実施。
1974年(昭和49年)
・「沖縄老人クラブ」(後に「亀寿会」と改称)結成。
・会館隣接地の払い下げ(横浜市)。
1975年(昭和50年)
・鶴見に沖縄出身者が約五千名居住することを確認(選挙前確認)。
1977年(昭和52年)
・財団法人おきつる青少年育成会設立。
1978年(昭和53年)
・10月、財団主催の「第1回 運動会」開催。
1980年(昭和55年)
・8月、「おきつる会館」竣工。
1986年(昭和61年)
・「おきなわ物産センター」開業。
1990年(平成2年)
・「第1回 世界のウチナーンチュ大会」が那覇で開催された。
1997年(平成9年)
・10月、鶴見区制70周年記念「サルビア祭」パレードに鶴見沖縄県人会参加。
・「サルビア祭」を記念して、「鶴見エイサー潮風」誕生。
2001年(平成13年)
・「鶴見エイサー潮風」による「第1回 道じゅねー」が仲通商店街で行われた。
・「沖鶴老人クラブ」が「沖鶴亀寿会」と名称を変更。
2002年(平成14年)
・5月、本土復帰30周年を記念して「沖鶴亀寿会」主催による沖縄旅行実施。
・11月、鶴見沖縄県人会主催による「第6回 全国沖縄県人会交流会」が新横浜「プリンスホテル」で開催され、来賓として稲嶺沖縄県知事が出席された。
2010年(平成22年)
・「つるみ臨海フェスティヴァル」に始めて参加。
2012年(平成24年)
・「第1回 もちつき大会」開催。
2013年(平成25年)
・12月12日、「財団法人おきつる青少年育成会」の「一般財団法人おきつる協会」への移行が認められた。
2014年(平成26年)
・11月30日、一般財団法人おきつる協会主催の「第一回おきつる芸能祭」開催。
2015年(平成27年)
・3月15日 「第一回横浜マラソン」で川崎県人会と合同で第9給水所を担当。
2019年(令和元年)
・10月6日 横浜・鶴見沖縄県人会主催による「第15回 全国沖縄県人会交流会 ━令和元年 in Yokohama」が「ロイヤルホールヨコハマ」にて開催。
2020年
・コロナ禍のためすべての行事が中止となった。
2022年
・会館一階に広報室「うりずん」開設。